12月19日は クリスマスコンサート日

このエントリーをはてなブックマークに追加

早い物でもう12月です。

毎年恒例で、この時期に行っているグループ内のイベントがあります。

既に多くの方にご参加いただける予定ですが、まだ申し込みを受け付ける事ができますので、

お早めに♪

あるグループの伴奏をお願いしているピアニストが一曲弾いてくれる予定です

何を弾いてくれる?と聞いたところ、

デオダ・ド・セヴラック の 「リヴイアのキリスト十字架像の前の騾馬引きたち」

という曲を弾いてくれるという事・・・しらない
作曲家名も、タイトルも聞きかえしました(笑)

ちょっと触りだけ弾いてもらうと、なんかいい曲くさい・・けど、よくわからないので、

興味をもって調べてみました♪

器楽の曲には、標題音楽と絶対音楽という言葉があります。

簡単に解説すると、

絶対音楽が、その音楽以外の知見がなくても鑑賞できる作品であるのに対して、

標題音楽は、その音楽以外の、情景、気持ち、イメージなどなどを想起させた上で、鑑賞する作品です。

まずこの作曲家 デオダ・ド・セヴラックは1872年から1921年に生きたフランスの作曲家だそうです。
なるほど・・・ ドビュッシーと同じく位なのか

何がなるほどかというと、

ドビュッシーといえば、牧神の午後など、標題音楽作品が多い事で有名
それ以前の作曲家は、練習曲や、ソナタ、など形式による器楽曲の方が多いのですが、美術界で印象派の作品が流行した中で、
音楽もそれに追随していったみたいです。
ちなみに、文学→美術→音楽の順番で、こういった流行は伝播していったのが歴史の様です

「リヴイアのキリスト十字架像の前の騾馬引きたち」
キリスト教でもなんでもない私や、多くの日本人にはわからない情報が多すぎるので、標題音楽であろうけど、なんの印象も持たないタイトルだと思うので、
言葉を整理します。

騾馬は、ロバとウマを掛け合わせる事で生まれる作業用の家畜。
昔からある、遺伝子操作のたまものでしょうか・・

馬よりもおとなしく、ロバよりも頑丈で、睡眠時間も食事も少なくとも、重い荷物を運べる家畜だそうです。
荷物運搬用の騾馬を引く人・・・
つまり、現代で当てはめるなら、フリーのトラック運転手とキャンピング用品を積んだ自転車で世界中を旅している人の中間といったところでしょうか

当時の騾馬引きは、定住地を持たず、様々な地を転々としているので、
定住している人にとっては、常に流れ者として警戒される事も多かったようです。

セブラックは、晩年 自身が活動したフランスと、出身の地であるスペインの中間となるセルダーニャ地方で過ごしました。
そこで、「セルダーニャ-5つの絵画的練習曲」を作曲したそうです。

ピテイナのリンクを張りましたが、興味のある方は上記も参照してみてください。
このホームページ文章を引用すると、
「4.リィヴィアのキリスト像の前のらば引きたち / No.4 “Les muletiers devant le Christ de Llivia”:組曲中最も陰鬱で瞑想的な雰囲気をもつ哀歌。「最も感動的な、神秘写実主義作品の一つ」であるスペインのキリスト十字架像を「この小品の中で表現しようと試みた」、とセヴラックは述べており、第3曲と第5曲の間の《休息》としての役割をこの曲に与えている。序奏につづいて、典礼聖歌《めでたし十字架、唯一の希望》が悲しみをもって歌われる。音の高まりとともにのぼりつめていくのは、祈りの人々のすがるような想いだろうか?溶けるような六連音符にのせてpppで奏される天井の調べには、人々が求めてやまない暖かな光と安らぎがある。」

という事だそうです・・・

ん?じゃあ リヴィアのキリストの十字架ってなに?ってのが気になります(笑)

そこで、キリスト教の友人に聞くと、「クレネのシモンを思いだすね~」って事で、
クレネとは、キリストの居た時代の北アフリカ、つまり現在のリヴィアの事だそうです。
聖書の世界に生きた人々5 クレネのシモン”負わされた十字架の意味 マルコの福音書15章21~23節

クレネのシモンと検索すると、たくさん出てきます。
キリスト教の方にとっては、重要な人物で、キリストが十字架を背負わされ歩いているときに、通りすがったクレネのシモンは、
ローマ兵によって、手伝う事を強要され、キリストの後ろから、十字架を持ったそうです。以降、神であるキリストを最後に助けた人間として語り継がれる事になったそうです。

シモンについては、様々な逸話があるので、ご興味のある方は調べてみて下さい・・・・たくさーーーん、でてきます(笑)

上記ではバイブルラーニングというサイトへのリンクを貼りましたが。
そこから引用すると
「マザー・テレサは、「苦しみはそれ自体では空しいもの。しかしキリストの受難を分かち合う苦しみは素晴らしい神さまへの贈り物です。 人のささげる最も美しい贈り物はキリストと苦しみを分かつことができることです」と言っていますが」
とあります。

さて、要素がそろったところで今一度、この標題から何を想像するかを考えてみると・・

定住の地を持たず、生活は楽ではない騾馬引き、そんな彼らが、リヴィアのキリスト像の前で何を思うのか・・・
十字架を持たされたシモン、それは宗教的には、苦痛ではなく神様への贈り物をしたということで、後世に名前を残す事になる。
そのシモンと自分を重ね合わせ、そんな生活の中に光を見出す・・・・・・ でしょうか・・

最後の圧倒的な暗さは、騾馬引きの苦悩か、
はてさて、キリスト教徒としての贖いへの憂いか・・な?

さて、標題の意味の想像が何となくついたところで、

ピテイナの文章を思い出しつつ・・・ 聞いてみよう

お・・・ いい曲だ~

ここまで調べないと、曲の魅力は3分の1も感じないかもだけど・・・

キリスト教でも、西洋人でもない日本人は、そもそも西洋史にも疎いので・・・わからないものはわからないという
騾馬引きっていわれても、動物園の飼育員しか思い浮かばない (笑)

セブラックやるな(笑)

ちょっと好きになりそうです・・・この作曲家

19日は、歌がメインですが、この曲もお楽しみに♪