近況報告;フォーレ「レクイエム」の指揮をおえて・・

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11月から、怒涛の本番のなか
私が、声楽を始めるきっかけとなった合唱部で最初に歌った・・・、

フォーレ「レクイエム」を
歌の魅力を教えてくれて、今夏他界された先生への追悼をこめ企画演奏、公演・・・というか指揮をしました。

いろんな事を思い出しながら、そして、目の前の人たちと向き合いながら(?)
未熟なりに、現時点では最良の演奏だったきがします。

この曲は、まだまだ高みをめざして取り扱っていければと思っています♪

ありがとうございました。

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練習・指揮するうえでの、思考は下記のようにしました。

フォーレ以前にも、偉大な作曲家達が「レクイエム」を書いています。とりわけモーツァルトとヴェルデイの「レクイエム」が、すでに名曲として列せられた後に、三大レクイエムの一曲として並び称され、また比較対象ともなったのが、フォーレの「レクイエム」です。この作品の特徴としては、出棺、埋葬時に歌われるIn Paradisumが含まれている点と、続唱(Sequentia)の部分が、ほぼ省かれている点が上げられます。

続唱のテキストには、最終戦争、火による浄化、最終審判などが書かれており、1962年の第二回バチカン公会議にて”死後の恐怖を不必要に強調することはキリスト教本来の思想から外れている”として省かれるようになるまでは、正式な式文であったので、フォーレはそれを70年も先取りして自ら省いた事になります。死後の恐怖が省かれているため、当時のカトリック教会のミサでは使用できず、作品そのものが異教徒的とも評されたという記録があります。

楽譜をみると、いくつかの事に気がつきます。

第一曲目、モーツァルト、ヴェルデイはもちろん、例えば、ドヴォルザークのレクイエムにしても、Requiem という歌詞が印象に残るように旋律が書かれているのですが、フォーレのレクイエムでは、luceat eis(彼らのために光あれ)が印象的になるように作曲されているのです。

更に、全7曲で構成される楽曲中、
7曲目に「In Paradisum (天国にて)」、
1曲目に「光あれ」、
3曲目に、フォーレのピアノ曲の代名詞ともいえる「舟唄」と同じ、
三拍子のアルペジオという構成であるという事に気が付いた時、
旧約聖書にある創世記の天地創造を思い起こします。

創世記
1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。
2日目 神は空(天)をつくった。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。
4日目 神は太陽と月と星をつくった。
5日目 神は魚と鳥をつくった。
6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。
7日目 神は休んだ。

第1曲目
フォーレのレクイエムは、ニ短調の主音としての二音が鳴り響き、短調の響きにより始まり、LUX (光)でピークを迎え、その後は、まるで暗闇と光が交互に支配する世界を表しているかの様な音楽のなか、ニ音の中に曲が結ばれていきます。

第2曲目
まるで暗闇で祈りをささげあう人々の声が聞こえてくるかの導入に続き、それに答えるかのの様にバリトンソロが歌われる音形は、二日目に空を作ったのを表現しているかの様であり、最後には、空に響きわたるかの様なハーモニーにてAmenが歌われます。

第3曲目
三拍子のアルペジオで始まります。アルペジオというのは和音の音をそのまま分解して演奏する事ですが、フォーレの楽曲の中で三拍子のアルペジオといえば、舟唄があげられます。フォーレは、生涯に13の舟唄を作曲しました。舟歌とはヴェネツィアのゴンドラ漕ぎの歌に由来する声楽曲または器楽曲です。水が流れ出すような音楽は、やがて大海となり、世界が出来上がったのを表現しているかの様です。

第4曲目
神が4日目に、太陽と月と星を作った事を表すかの如く、輝く様な美しさが音に与えられています。

第5曲目
5日目に神が魚と鳥を作ったのを表すかごとく、自由自在に水や空を自由に動ける存在を感じる様な楽曲となっています。

第6曲目
繊細な音楽、神の所業や、奇跡を表すかの様な他の楽曲とは違い、人間臭さを感じさせる印象的な楽曲は、まるで6日目に神が自分の姿を似せて作った人間の苦悩を表すかの様です。

第7曲目
1曲目の、ニ短調という暗い世界に人間の住む天地創造の始まりを表現したのに対し、神の住む天国が、ニ長調で表現されるか様です。そして、まるで眠りについていくかの様に静かに音が集います。
1曲目では、ニ短調の主和音、最終曲では二長調の主和音で歌われたRequiem、いずれも二音(レの音)を根音としている統一感は、神が住む天国と、神が作り上げた人間の住む世界、どちらが生で、どちらが死なのかといった境を壊し、永遠の安らぎが音楽に表現されているように思います。
もしかしたらフォーレは、王と訳されるREというイタリア語をかけて、二音を神とイメージしたのかもしれません。

晩年の1921年 手紙の中で次のように書いているそうです。
「私が宗教的幻想として抱いたものは、すべてレクイエムの中に込めました。それに、このレクイエムですら、徹頭徹尾、人間的な感情によって支配されているのです。つまり、それは永遠的安らぎに対する信頼感です。」


演奏 フェリーチェ 指揮 飯田康弘 2016年12月